ぼくが生きてる、ふたつの世界 五十嵐大

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ぼくが生きてる、ふたつの世界 五十嵐大 映画作品を楽しむ

こんにちは!おるさんです!
今日は五十嵐大さんのぼくが生きてる、ふたつの世界について紹介します。
吉沢亮さん主演、映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が2024年9月20日(金)から公開されていますが、原作はどんな話でしょうか。

おるさんが映画を観たときには、「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」が原作と紹介されていたと思うのですが、今は映画と同名原作の「ぼくが生きてる、ふたつの世界」が発売されているようです!

結末がわかるようなネタバレはしていないので、気になればぜひ読んでみてください。

ぼくが生きてる、ふたつの世界の作者は?あらすじは?

作者 五十嵐大さん

作者は五十嵐大さん。1983年、宮城県出身です。
2010年10月に「しくじり家族」でエッセイストデビューされています。

あらすじ

ご本人の経験をもとに、耳の聴こえないご両親、主に母親との関係について幼少期から学生時代、社会人までを1冊にまとめたエッセイです。まだ自身の世界が狭く、母親の耳が聴こえないことが当たり前だと思っていた幼少期から、成長するにつれて何か普通じゃないのかも?と思いはじめたこと、母親を疎ましく思う気持ちと、母親を大切にしたいという気持ちの間で悩みます。そんな彼は最終的に母親とどう向き合うのでしょうか。

CODA(コーダ)って?

作中に出てくるCODA(コーダ)は「Children of deaf adults 」の頭文字をとった言葉で、耳の聞こえない大人に育てられた子供を意味します。

映画情報・キャスト

公開日

2024年9月20日(金)

キャスト

五十嵐大  :吉沢亮
五十嵐明子 :忍足亜希子
五十嵐陽介 :今井彰人
河合幸彦  :ユースケ・サンタマリア
鈴木広子  :烏丸せつこ
鈴木康雄  :でんでん
(敬称略)

印象に残ったシーン

初めてうちに遊びに来てくれた友人に、お母さんの話し方が変と笑われてしまった小学3年生の出来事が印象に残っています。

「なんかさ、お前んちの母ちゃん、喋り方おかしくない?」
「……え?」
「さっきもそうだったけど、喋り方変だよな?」
そう言って、Yくんはクスクス笑っている。それに対し、言葉が出なかった。

ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
第3話 母の喋り方を笑われてしまった日

お母さんは生まれつき耳が聴こえないため、日本語をうまく発音することができません。ぼくにとってそれは普通のことだったけれど、友人に言われて初めて「変」と言われてしまうことだと知ります。ぼくはそんな彼に対し、誤魔化すことしかできませんでした。もやもやを感じますが、Yくんは事情を知らないためYくんを責めることはできません。
お母さんは引っ込み思案のぼくが友人を連れてきたことを喜び、次はいつ来るの?と嬉しそうですが、ぼくはまたお母さんの喋り方が笑われてしまったらどうしようと、それから誰かをうちに呼ぶことはできませんでした。

友人の悪気ない、何気ない一言っていつまでも記憶の中にありませんか?特に小学校低学年だと、発言する側も受け取る側もまだ未熟者同士なので、発言する側は相手に配慮することが難しいし、受け取る側も相手の裏の感情とか考えずそのままの意味で受け取ってしまっていた気がします。今でも言われたこととかその時の周りの感じとか細かく思い出せるし、その時の言葉が大人になっても心のどこかに潜んでいることを自覚しているので、五十嵐さんもこの一言ずっと心の中にあったのかなあと想像しました。
言われた内容が大切な家族のことだと悲しくなるし、でもこの気持ちを相手に伝えることもできないし、もちろんお母さんに相談することもできないし…とがんじがらめになってしまう気がします。誰にでも経験はあるかもしれませんが、もしかしたらその頻度が多い幼少期を過ごしたのかもしれません。

この本のここが好き!

五十嵐さんは耳の聴こえない両親に育てられた耳の聴こえる子供で、いわゆるコーダと呼ばれます。おるさんは少し前の映画の題名になっていたので聞いたことはありました。日本でコーダと呼ばれる子供は2万2千人ほどいるそうです。
知らない世界の話ではあるけれど、同じ世界で生きている人たちの話なので、知れてよかったと思います。コーダがどんなことに悩んで、どんな気持ちでいるのか知らないからと全く想像できないのと、五十嵐さんの経験を知ることで気持ちを想像することができるという体験を大切にしたいです。

あとはなんでもやりすぎはよくないんだなと思いました。作中、仲良くなった聴覚障害を持つ友人たちとの食事のシーンで、ぼくは友人たちに不自由がないようにと率先して店員とのコミュニケーションをとります。よかれと思っての行動ですが、後に一人の友人から自分たちにできることは取り上げないでほしいと伝えられます。友人たちは耳が聴こえないだけで、店員を呼ぶことやメニューを注文することができないわけではありません。
これは言われないと気が付かないかもと思いました。先回りは相手を想っての行動なので、なんの悪気があるわけではないのですが、無意識的なところで何もできない人と思ってしまっているのかもしれません。手助けが必要な場面はあるだろうけれど、それ以外は変に手を出しすぎず、本当に必要な時のためにそばにいるくらいの心構えでもいいのかなと感じました。今後そんな場面に出会ったときにはこの本を読んで思ったことを思い出せるといいです。

まとめ

今回は五十嵐大さんのぼくが生きてる、ふたつの世界について紹介しました。
ぼくと自身の成長を重ね合わせて、誰にでもある反抗期を思い出し少し胸がきゅっとなる作品でもありました。全編を通して、五十嵐さんはご両親から愛されて大切にされて育てられたんだろうなということも感じられます。ぜひ原作を読んで確かめてみてください!

おるさん
おるさん

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